アニマルワン木村社長 創造への挑戦

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2006年5月25日 (木)

ライバル-学生時代

昔から、必ずライバルを設定する癖があります。自分自身が社員だった頃は、自分の先輩や取引先には絶対ビジネスで負けたくないと思っておりました。現在は、ライバル会社の社長には負けたくないと思います。

ただ、何時の時代も「絶対に超えてやる!」と思っていた相手が父親でした。
と言っても、小・中学校での成績は最悪。。。私が覚えているだけでも、5段階評価で、理科1、社会1、国語2・・・と言う不名誉な成績をよく取っておりました。スポーツと遊びを繰り返すだけで、小中学校時代は、親を本当に悲しませるだけ。。。巨人が負けた日に、通知表を見せるのはもってのほか。。。、巨人が大敗した際に、通知表を見せた瞬間、紙切れが空を舞っていた時もありました。その光景は私の脳裏に焼きついてます。

こんなに勉強嫌いでも、何故か学級員、音楽コンクールの指揮者や作文コンクールで学校代表等にはなっておりました(笑)。こんなに頭が悪い子供でも、中学校3年の担任の先生等に「10年に1人の人材」と言われたのは、今でも嬉しく思っております。例え、褒め殺しであったとしても・・・。
いずれにしても、中学校の成績は最悪でしたので、高校は、ご想像の通り。高校入学したと思ったら、東京都で優勝・準優勝を争うようなチームとは全く知らず、ラグビー部に。。。正直、退部したくても、退部できない部でした(退部=高校中退の意味)。高校1年生の時の先輩は、高校日本代表1名に加えて、レギュラーの80%以上が東京都選抜。。。365日中、合宿移動日の1日を除く364日が練習。。。しかも、1日の練習は、朝・昼・放課後・夜と4回(トホホ)。合宿は特に最悪。練習もさることながら、ご飯の時間が最悪。1回の量は、吉野家のドンブリサイズでテンコ盛り5杯+おかず+先輩のごはん+先輩のおかず。
信じられますか?
私は、トイレで吐いたことはあったが、同期は、食事中に・・・。その時、先輩が寄って来て、「食えよ!」の一言。マジメな話、手で吐いたモノを食べてました。。。

こんな日々を繰り返している内に、私の成績は、600人中580番目ぐらいまで急落。それでも、先輩は、「お前を日本代表に育てあげる!」と言って、毎日、泣きながら練習しておりました。それがそれが、そのような鉄拳制裁のお陰で、1年生の最後にはレギュラーになってしまいました。。。2年生になって、成績は落ちる所まで落ち、はじめて勉学における危機感が(笑)
ついに、勉強に覚醒・・・ラグビー部の先生や同期に「慶應大学に行きたいから退部させてくれ!」と懇願しました。実は、その当時、創業120年の高校でしたが、慶應大学入学者は0名。ラグビー部の先生、担任、同期からも、「コイツ大丈夫か?」と思われました。進路指導の先生に至っては、「木村君が慶應大学に入学できたら、裸で逆立ちして、校内を回ってあげるよ!」とまで言われました。。。

でも、意思は強く、日本一厳しいラグビー部で練習した以上は、不可能は無いと思いました。
続きは明日!

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