ライバルー就職へ
つづき・・・
残念ながら、何年もの間勉強しなかった為、既に手遅れ状態でした。それでも、多少勉強した甲斐があって、大学には合格。。。ラグビー部の部員や先生達には、喜ばれたが、父親超えと言うこともあって、自分なりの判断で浪人生活。。。
当然ながら、父親からは「贅沢な奴だ!浪人しておまえのレベルでは合格するはずがない!」と罵られた。。。でも、父親とは同等以上になりたかった。
浪人の1年間は、父親や友人にも、「慶應大学には、絶対合格する!」とコミットして、約6年分の勉強を取り戻そうと一応頑張りました。
緊張の合格発表日に両親と一緒に同行して、「合格!」。父親と堅い握手を交わしました。人生で初めて、父親が歩んだ道のりを踏めたと実感しました。一歩前進。
とは言え、大学に入学してからは、またラグビー人生。。。体育会ではなかったが、準体育会ラグビー部に所属し、自分の学年の時は主将も務めておりました。高校時代とは異なり、自分達で頭を使いながらラグビーをしておりました。従って、責任は全て自分自身にあり。そのプレッシャーが最高でした。それに、自慢の一つですが、チームの部長は現塾長の『安西 祐一郎 先生』でした。本当に光栄です。
心残りは、色々なネットワークは出来たものの、勉強がイマイチ。。。
さて、就職においても、父親とはぶつかりました。生意気な私は、父親が当時大東京火災の取締役であった事から、大東京よりもランクの高い会社に行きたいと思っておりました。その結果、大東京火災以上の所は、ほぼ内定!その中でも、お気に入りが野武士イメージのある安田火災(現 損保ジャパン)でした。
但し・・・・損保を受けた理由は、父親に「入社できるレベルはあります!」と見せつけたかった為でした。本命は、総合商社。ビジネス、そして、起業するなら商社!と決めておりました。その中でも、最も、若くしてビジネスをさせてくれるイメージのあった日商岩井株式会社(現、双日株式会社)を選択。他の商社も選択肢にはあったが、30歳までに独立するためには、非財閥系で、若手に任せてくれ、野武士イメージのある日商岩井が最有力候補でした。
父親には、再度「一体何を考えている?安定している損保業界に行け!」と言われ続けたが反発。予定通り、日商岩井に入社。出会った先輩や後輩は本当に素晴らしい方々でした。刺激も沢山受け、未だに、心には日商岩井魂が根付いております。いつか、古巣と一緒にビジネスが出来ればと思っております。
父親が自分のライバルである以上、取締役にまで就任している父親に勝つには、「違う道しかない!」と思ってました。同損保業界で出世して、同ポジションになる頃には、父親は普通に考えて亡くなっている。これでは、父親に自分の勇姿が見せられない。つまり、ライバルである父親には勝てない。
父親が生きている間に、「おまえは、本当にスゴイな!」と言わせるためには、
「起業→上場→成功」のステップしかないと大学時代から思っておりました。
そして、一人っ子の私を育ててくれた両親に、「本当にこの子を育ててよかった!」と思われるように、恩返しをしたいと思っている。親を何度も泣かせた、親不孝者の私にできる精一杯の事です。






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